生まれた日や時刻で、その人の運命を読む。占いというものの、もっとも素朴な前提です。これを聞いて、こう思った人も少なくないと思います。「そんなの、非科学的だろう」と。私もずっとそう思ってきました。

ところがある日、私はひとつの理論に出会います。それが「ブロック宇宙理論」と呼ばれる、時間についての考え方でした。今日はその理論を入口に、占いという営みの不思議について、少し書いてみようと思います。

映画『インターステラー』の問いかけ

もし映画『インターステラー』をご覧になったことがあれば、あの巨大な水の惑星のシーンを思い出してみてください。主人公クーパーたちが惑星の表面に降り立ち、わずか数時間を過ごす間に、軌道上で待っていた仲間の元では23年もの月日が流れていた ── そんな描写があります。

これは映画の作り話ではありません。アインシュタインの相対性理論によれば、強い重力場のそばや、光速に近い速度で運動している物体のそばでは、時間の流れが遅くなる。これは現代物理学の確かな事実として、すでに実験でも何度も確認されています。

つまり、私たちが「絶対のもの」だと感じている時間は、本当は絶対ではない。観測者の置かれた状況によって、伸び縮みする、相対的なものだ ── インターステラーは、そのことを物語の核に据えた映画でもありました。

ブロック宇宙理論とは何か

時間が相対的なものだとすると、ある不思議な可能性が浮かび上がってきます。それが、「ブロック宇宙理論」(または永久主義 / Eternalism)と呼ばれる考え方です。

Block Universe

私たちが「時間が流れている」と感じているのは、実は意識の側で生まれる幻想であって、宇宙の始まりから終わりまでが、すでにひとつの"塊"としてそこに在る ── という考え方。

過去、現在、未来は、私たちが想像するような「線」ではなく、すべてが同時に存在する一枚の地図のようなものとして捉えられます。物理学者アインシュタインや、近年では量子物理の議論のなかで、繰り返し問われ続けている仮説です。

もちろん、これは完全に証明された理論ではありません。今もなお量子論や宇宙論の最前線で、研究者たちが議論を続けている仮説です。私自身も、完全に理解できているとは到底言えません。

けれど、もしこの理論が部分的にでも正しいとすれば ── 占いというものの位置づけが、少しだけ違って見えてきます。

時の流れを、川の流れに、たとえてみる

この感覚を言葉にしようとするとき、私の頭にずっと浮かんでいるのが、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』という小説に描かれた、ひとつのイメージでした。

時は川の流れのようなものだ。過去・現在・未来は、すべて同じ川の中に同時に存在している。けれど、人間の意識は、その川のうちの一地点しか、感じ取ることができない。

『シッダールタ』ヘルマン・ヘッセ(要約・意訳)

川を、橋の上から眺めてみてください。そこから見えるのは、橋の真下を流れていく、ほんの一瞬の水だけです。私たちはそれを「いま」と呼びます。

ところが、もし上空に昇って、川の全体を見渡すことができたら。上流から海まで、すべての水が、すべての瞬間が、ひとつの蛇行する銀色のリボンとしてそこに在る ── そう見えるはずです。

ブロック宇宙理論が私たちに示唆しているのは、たぶん、これに近いことです。運命というものも、本当は同じように、すでに在るのかもしれない。ただ、私たちは"いま"という一地点でしか、それを体感できない。

けれど、もし観測する次元を一段上げることができたなら ── そこには、誰かひとりの人生の全体像が、すでに描かれた地図のように、広がっているのではないでしょうか。

生まれた日時、という座標

ここまで来ると、占いというものの前提が、少しだけ違った光のなかに見えてきます。

ほとんどの占いは、「生まれた日や時刻」を起点にして、その人の気質や運命を読み解こうとします。これを単なる迷信として片付けるのは、たやすいことです。けれど、ブロック宇宙的な視点を借りるなら、こう言い換えることもできるかもしれません。

生まれた瞬間とは、宇宙という時空連続体のなかで、その人という意識が、肉体という器に宿った瞬間。つまり、四次元的に広がる宇宙のなかでの座標です。

その座標を起点に、その人固有の"地図"を読み解く ── それが、世界中の占いがやってきたことなのかもしれない。少なくとも、当初私が思っていたほど、それは荒唐無稽な営みではないのかもしれない。私はそう感じるようになりました。

それでも、占いを「信じる」必要はない

ただ、誤解しないでいただきたいのは、私はここで「占いは科学的に正しい」と言いたいわけではない、ということです。

ブロック宇宙理論はあくまで仮説であり、ましてやそこから「占いには根拠がある」と言い切るのは、論理の飛躍が過ぎる。私は科学者ではないし、占術家でもありません。

けれど、こうも思うのです。占いを「信じるか/信じないか」の二択で考える必要は、本当はないのではないか。

占いは、未来を予言する装置ではなく、自分という人間の輪郭を、別の角度から眺めるための鏡のように使えばいい。鏡は、その人を変えてしまうほどの魔力は持ちません。けれど、自分の顔をはじめて見るとき、人ははっとした表情を、自分自身に向けることがあります。

宇宙の正体も、時間の正体も、私たちはまだ何も知らないと言っていい段階にいます。それでも、人類は何千年もかけて、星と暦と人生の関係を観察してきました。

その観察の蓄積が、もしかしたら、私たちにまだ説明できない何かを、すでに掴んでいるのかもしれない ── そう考えると、生まれた日時を入り口にして自分を見つめ直すという行為は、案外、ロマンに満ちた営みなのかもしれません。

占いに、何かを"預ける"必要はありません。ただ、自分という地図の、まだ見ぬ部分を覗くための小さな道具として ── そんなふうに付き合っていけたらいいなと、私は思っています。

鳥倉 必勝

星の羅針盤 / Founder